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静岡地方裁判所 昭和46年(ワ)312号 判決

原告 渡辺寿久

右訴訟代理人弁護士 上条貞夫

右同 西山正雄

被告 日本国有鉄道

右代表者総裁 高木文雄

右訴訟代理人弁護士 真鍋薫

右指定代理人国鉄職員 栗田啓二

〈ほか七名〉

主文

一  原告が被告に対し雇用契約に基づく権利を有することを確認する。

二  被告は、原告に対し、金三八三万八六六二円及びこれに対する昭和四八年四月一日より完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

三  原告のその余の請求を棄却する。

四  訴訟費用は被告の負担とする。

五  この判決は、第二項について、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  原告が被告に対し雇用契約に基づく権利を有することを確認する。

2  被告は、原告に対し、金四〇五万九六一二円及びこれに対する昭和四八年四月一日より完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

4  この判決は、第二項について、仮に執行することができる。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求はいずれもこれを棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二原告の請求原因

一  被告は、日本国有鉄道法に基づき設立された公共企業体であり、原告は、昭和二四年四月一日被告に雇用され、昭和二七年四月一日よりその職員たる地位にあり、昭和四四年一二月当時静岡鉄道管理局沼津機関区電車運転士の職にあって、毎月二〇日毎に金五万六八八〇円の賃金を受けていた者であり、当時国鉄労働組合(以下「国労」と略称する。)に所属し、その頃国労静岡地方本部沼津支部沼津機関区分会(以下「国労沼津機関区分会」と略称する。)執行委員長の役職にあった。

二  被告は、昭和四四年一二月二二日付で原告を解雇(以下「本件解雇」という。)したとして、原告の職員としての地位を争い、就労を拒否し、賃金・諸手当等の支払いをしない。

三  原告が被告より受けうべき賃金は、昭和四四年一二月二二日から昭和四八年三月三一日までの間に合計金四〇五万九六一二円であり、その詳細は別紙第一の1及び2記載のとおりである。

四  よって、原告は、被告に対し、雇用契約に基づく権利の確認、並びに前記賃金債権合計金四〇五万九六一二円、及びその最終支払日の昭和四八年三月三一日の翌日である同年四月一日から完済に至るまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

≪以下事実省略≫

理由

第一雇用関係の存在と解雇の意思表示

請求原因一・二記載の事実は、当事者間で争いがなく、≪証拠省略≫によれば、被告は、原告が、国労沼津機関区分会執行委員長として、本件闘争の計画に参画するとともに、右闘争を指導し実施させた責任者であるとして、公労法第一八条により原告を解雇したことが認められる。

第二本件闘争の経緯

一  五万人合理化計画と労使間の折衝

≪証拠省略≫によれば、次の事実が認められる。

1  被告は、昭和四二年三月三一日、国鉄三労働組合に対して、「当面の近代化・合理化について」という提案を行ったが、これが世上「国鉄の五万人合理化計画」と呼ばれたものである。その内容は、国鉄の財政の窮状を打開し、時代と国民の要請に合致した新時代の交通機関に脱皮するため、業務全般にわたり抜本的な刷新を実施し、積極的に機械化・近代化を企図した五万人合理化計画であるが、被告は、昭和四二年七月二六日、国鉄三組合に対し、右近代化・合理化の実施に伴い、強制的な人員整理を行う考えがないことを明らかにしており、五万人合理化は五万人人員整理という趣旨ではなかった。

2  被告は、右「当面の近代化・合理化について」の一項目として、「EL・DLの動力車乗務員数は機関士一名乗務を原則とする」旨の、いわゆる一人乗務制の提案を行ったが、その理由とするところは、「鉄道における動力車の始まりは蒸気機関車(SL)であり、構造上操縦作業と動力発生のための焚火作業の異質の二作業を行うため、機関士と機関助士の二人乗務が必要であった。ところが、このSLは長期間使用されてきたため、その後開発されたEL・DLにも、慣行として二人乗務形態が持ち込まれた。けれども、近代動力車であるEL・DLは、構造上動力発生のため焚火作業はなく、基本的に一人で操縦できるようになっており、同一路線を運行するEC・DC(気動車)は大部分が一人乗務であって、安全は確保できる。」というにあり、被告は、右一人乗務制の実施により、職員五七〇〇名を削減できるものと目論んでいた。しかして、爾来、被告は、昭和四三年九月まで約一年半にわたって組合と交渉を続け、EL・DL一人乗務については動力近代化を前提に段階的に実施すること、具体的実施のため機関車の改造・地上設備の改良等を行うこと、一人乗務制の実施に伴い過員となった機関助士については原則として機関士に登用し、強制的な人員整理を行わない旨の提案を行ってきた。

3  これに対し、国労ら組合側は、被告の右提案は専ら国鉄の赤字財政克服のため輸送の安全性確保を全く無視した無謀な施策であって、一人乗務制の実施は国鉄の輸送の安全性に支障を及ぼす重要な問題であるとして、右提案に対し根本的に反対する態度を示したため、労使間の交渉は難航し、昭和四三年九月頃まで膠着状態が続いた。しかるところ、被告は、昭和四三年一〇月一日付で国鉄ダイヤの全面改正を行うのを機に、右の一人乗務制を部分的に実施する意向を示したので、これに対して、国労及び動労は共闘体制を組み、右一部実施を阻止すべく同年九月一二日に一二時間のストライキを実施したが、被告は右実施の態度を変えなかった。

二  EL・DL委員会と労使間の折衝

≪証拠省略≫によれば、次の事実が認められる。

1  国労及び動労は、昭和四三年九月一七日、被告に対し、「EL・DLの一人乗務制の安全性を裏付けるため、医学的・心理学的・工学的見地より検討することを提起する。」との声明を行い、これが契機となって、同月二〇日、国鉄労使は、「EL・DLの乗務員数問題についての当面の処理に関する覚書」を締結し、「(1)EL・DL乗務の安全問題については、別に設ける委員会に依頼する。(2)委員会から答申された内容は尊重し、労働条件については団体交渉で決める。」旨の協定が成立した。その結果、右労使の共同推薦により、東京大学医学部教授大島正光(医学・人間工学)を委員長に、青山学院大学理工学部教授高木貫一(心理学)、大阪大学文学部教授鶴田正一(心理学)、財団法人労働科学研究所々長斎藤一(医学)、東京大学工学部教授藤井澄二(機械工学)の五名の委員が選任され、同年一〇月一八日、「EL・DLの乗務員数と安全の関係についての調査委員会(略称EL・DL委員会)が発足した。

2  EL・DL委員会は、昭和四四年三月二四日までの間に一五回の会合を開いて調査検討を行い、その間に、財団法人労働科学研究所備付の資料、委員及び労使提出の資料、延べ一五回にわたる全国各線区走行列車の添乗調査、及び平均的な乗務条件によるモデルダイヤにより一人乗務と二人乗務を対比する目的のため、広島・岡山間で約二週間にわたる実地調査(昼間に施行)を行い、更に外国におけるEL・DLの乗務制の現状等にも検討を加えて、同年四月九日、調査報告書を国鉄労使に提出した。右調査報告書は、「諸外国でEL・DLの一人乗務がかなり進歩していること、また、わが国においても、私鉄においては殆んど一人乗務となっていること、国鉄のEC・DCは既に古くから一人乗務であること等を考えると、国鉄においても、EL・DLを一人乗務にする客観的条件は熟しているとみなければならない。」とし、労働負担の点については、「委員会の行った岡山・広島間のような平均的な条件を備えた路線における調査結果からみても、一人乗務の生理的負担はその生理的限界を越えていないこと、しかも、従来の労働科学研究所の行った多くの調査結果と照合した場合に、夜間の一人乗務の場合の生理的負担も生理的限界を超えることはないと考えることができる。従って、岡山・広島間の条件よりも種々の点で平易と考えられる路線は、生理的負担の点からは原則的に一人乗務にすることができるであろうと考えるのは、自然的な推量であるということができる。」とし、また、安全性の点については、「事故率について、EC・DCにおける一人乗務と二人乗務とを比較した場合に、一人乗務の場合が二人乗務の場合よりも事故率が少なくとも増えている結果がみられないことは、一人乗務を進める上で、安全についての基本的な危惧のないことを示唆していると考えてよい。そして、一人乗務の場合の事故率の高くないことは、諸外国の資料が教えているように、乗務条件、作業環境条件、労働条件等についての改善が並列的に行われている基盤の上に立っていることも、見逃すわけにはいかない。一人乗務制に移行するに際して、可能なものは機械化し、なお機関士と車掌との通話を可能にする等の種々の対策を加えることによって、安全性あるいは異常時対策等が講じられるならば、この面からの安全へのてこ入れが一層強く行われることになる。」とし、結論として、「二人乗務を一人乗務に切り換えつつ、それを前提とした種々の施策を実施してゆくことを、現在の国鉄の基本方針にすべき時期にきていると考える。けれども、急激に実施に移す場合には、種々の混乱が生じる可能性があるので、ある程度実績をみながら、漸進的に実施していく心がまえも必要である。なお、労働条件の科学的・合理的改善が、一人乗務を円滑に進めるうえに大いに役立つことも、ここに指摘しておかなければならない。」(要旨)と述べている。

3  そこで、被告は、前記昭和四三年九月二〇日付協定に基づき、EL・DL委員会の調査報告書を基礎として、一人乗務制の部分的な実施をはかるため、昭和四四年四月二二日以降国労・動労と団体交渉をもった。ところが、国労・動労は、EL・DL委員会は予定された調査を十分行わないままで調査報告をなし、それ故、労使双方が同委員会に要請した調査事項、即ち、列車密度、信号機の条件、線路条件、列車の種類・種別、昼夜別、気象条件等を加味して一人乗務制の適否を調査検討するという問題について十分な調査をなさず、特に夜間の一人乗務に関しては資料に基づかず単なる推論により結論づけていることからすれば、その調査活動は科学性に欠け、安全性に対する科学的究明を怠るものであり、国鉄当局に追随的であったといわざるをえない等の理由をあげ、被告の一人乗務制の部分的実施に対し真正面から反対したため、交渉は容易に進展しなかった。その間、被告と国労との間で、昭和四四年五月二〇日、「安全が確保され、基本的諸要求及び時間短縮をはじめ動力車乗務員の具体的労働条件が改善されることを前提に、一人乗務制について九月時点で集約するため交渉する。被告は一人乗務制の六月実施にはこだわらない。」旨の確認が、続いて同年九月二七日に、「EL・DLの乗務基準及び動力車乗務員の労働条件については、一〇月末を目途に解決する。」旨の確認がなされた。そして、右労使間で、引き続き、夜間の一人乗務の問題点等を中心に、解決を目指して積極的に団体交渉が行われ、同年九月末頃には、従前の如き「機関助士廃止の白紙撤回」とか「機関助士全面廃止」といった主張は消え、相互の歩み寄りがみられたものの、一人乗務制実施の時期・規模といった基本的問題について、労使双方の主張にはなお相当の隔たりがあった。

三  闘争態勢の確立

≪証拠省略≫を総合すれば、次の事実が認められる。

1  国労は、昭和四四年六月盛岡市での第三〇回定期全国大会で、「EL・DL機関助士廃止反対闘争について、大規模なストライキでもって闘う」旨の闘争方針を決定し、これを受けて、同年一〇月八日・九日の両日開催された第八七回中央委員会において、「EL・DL機関助士廃止に反対し、一〇月末頃実施のストライキで組合の要求を闘い取る」旨を確認した。

2  一方、同年一〇月一七日、総評・全交運・国労・動労の四者による助士廃止反対共同闘争委員会(以下「共闘委員会」という。)が発足し、同委員会は、同月一七日・一八日の両日戦術委員会を開催して、次のような具体的な戦術を決定した。

(一) 一〇月二〇日から一一月一日までを、合理化反対統一行動期間とする。

(二) 一〇月二五日から、全職場で順法闘争に突入する。

(三) 一〇月三一日午前〇時以降、東京・大阪の国電ATS順法闘争を実施する。

(四) ストの実施時間は、一〇月三一日午後七時から一一月一日午前一二時までとし、A・B両グループに分けて、次の地方本部で拠点を設定する。

・Aグループ(三一日午後七時から一一月一日午前九時までの一四時間スト)=札幌・青函・盛岡・仙台・熊本・水戸

・Bグループ(三一日午後一〇時から一一月一日午前一二時までの一四時間スト)=東京・静岡・名古屋・大阪・長野

(五) 国労・動労は、一〇月二二日までに全国戦術委員長会議を開いて意思統一をはかり、同日午後四時から再度戦術委員会を開き、戦術配置について最終確認をする。

3  そこで、国労は、同年一〇月二一日中央執行委員会を開催して、共闘委員会の前記確認に基づき本件闘争の戦術内容を決定し、翌二二日には全国戦術委員長会議を開催して、ストライキの拠点(静岡地本については、沼津機関区・静岡運転所・浜松機関区)の決定等を行い、同月二一日付で、国労中央執行委員長中川新一名で、本部闘争指令第一五号を発し、地方における本部及び地方本部の各委員長に対し、次のように指令した。

(一) 一〇月二五日から、全職場で順法闘争に突入する。

(二) 別に指定した地方本部は、一〇月三一日から一一月一日にかけて、機関区・電車区等を指定し、ストライキに突入すること。具体的なストライキ実施方法は、別に指示する。

(三) 別途指示する統一宣伝活動については、積極的に行うこと。

(四) 各地方本部は、動労・県評代表者をいれて地方共闘委員会を設置し、具体的行動については、調整すること。

4  国労静岡地本は、昭和四四年一〇月二二日、執行委員会を開催し、本部闘争指令第一五号を具体化する討議を行い、翌二三日には、支部長会議を開催して、本部闘争指令第一五号の具体的闘争方針を各支部長に周知徹底させ、沼津機関区・静岡運転所・浜松機関区を拠点とする本件闘争の準備にとりかかるように指示し、更に、同日、県評・動労との三者で共闘委員会を発足させ、完全共闘体制の確立をはかった。しかして、国労静岡地本は、同月二七日付で、国労静岡地本執行委員長青木薪次名により、支部及び分会の各執行委員長宛に指令第一〇号を発し、また、中央本部からの指示に基づき、同月三〇日午前九時からの順法闘争を指令した。なお、静岡地本指令第一〇号は、次のような内容である。

(一) 別に指示する分会は、一〇月三一日午後一〇時より一一月一日午前一二時まで、ストライキに突入すること。具体的な実施方法については、別に指示する。

(二) 別に指示する統一宣伝活動については、積極的に行うこと。

(三) 関係支部は、地区労代表者をいれて地域共闘委員会を設置し、具体的行動について調整すること。

(四) 沼津・静岡・浜松の三地区で、一〇月三一日夕刻より、国労・動労・地区労の共同総決起集会を行うこと。

(五) 順法闘争については、一〇月三〇日より突入するが、具体的な闘いについては、地方本部執行委員会の指示に従うこと。

5  国労沼津機関区分会は、昭和四四年一〇月二七日午後三時三〇分頃から、沼津機関区講習室において同分会拡大委員会を開催し、闘争内容の具体的な実施方の徹底を図り、更に、同分会執行委員長名で、同月二八日付同分会指示第八号・同月二九日付同分会指示第九号を発し、同分会員に対し、(1)当局の戸別訪問・保護願いを拒否すること、(2)一〇月三一日午後四時から杉崎町会館で開催する総決起大会に参加すること、(3)一〇月三〇日午前九時より順法闘争に突入することを、それぞれ指示した。

6  なお、国労は、本件闘争を着実に実施するため、同月二八日頃、沼津地区に坪井一雄中央執行委員を派遣し、また、静岡地本も、同月二五日頃、沼津地区に臼井静副委員長及び工藤正憲執行委員を派遣した。そして、坪井中央執行委員は、沼津地区の現地最高責任者となり、臼井副委員長、工藤執行委員と共に、沼津機関区分会における具体的なストライキ体制確立のための作業に入り、沼津機関区分会員による争議行為の指揮・指導・実施にあたり、また、逐次中央本部の闘争指令を伝達した。そして、原告は、本件闘争の拠点の分会執行委員長として、坪井中央執行委員、臼井地本副委員長、工藤地本執行委員、田村沼津支部執行委員長らの指揮・指導に基づき、沼津機関区分会の組合員に対し、本件闘争を成功させるために必要な連絡及び指示を行ったのである。

四  本件闘争の実施及びその影響

≪証拠省略≫を総合すれば、次の事実が認められる。

1  国鉄労使は、昭和四四年一〇月二〇日以降も、夜間における一人乗務の安全性及び動力車乗務員の労働時間の短縮等を中心に、積極的に団体交渉を行ったが、双方の主張にはまだかなりの隔たりがあり、交渉は依然として足踏み状態が続いていた。そのため、国労及び動労は、同月二九日より順法闘争を強化し、更に同月三一日午前〇時以降東京・大阪の国電ATS順法闘争に突入したうえ、予定どおり、同月三一日午後七時から北海道・東北・九州の各拠点で、また同日午後一〇時から関東・東海・中部・関西の各拠点で、それぞれ一四時間ストに突入した。これに対し、被告は、スト突入と同時に事前に確保した乗務員を総動員し、長距離の特急・急行など主要列車を重点に運転を続けたが、ローカル列車や貨物列車などに当てる手持ち運転手はなく、時間が経過するにつれて混乱が拡大していった。こうした状態のなかで、ようやく事態収拾の機運が高まり、数次にわたる交渉のうえ、翌一一月一日早朝、共闘委員会議長の岩井総評事務局長と山田国鉄副総裁とのトップ会談の結果、交渉は妥結し国労及び動労は、同日午前八時三〇分ストライキの中止指令を発した。なお、国労沼津機関区分会においても、中央の指令に基づき、一〇月三〇日午前九時より順法闘争を行ったうえ、同月三一日午後一〇時より翌一一月一日午前八時三〇分までストライキを実施した。

2  国鉄労使の妥結内容は、次のとおりである。

(一) EL・DLにつき機関助士を残す範囲は、(1)乗務区間一〇〇キロ以上の特急列車、(2)同一三〇キロ以上の急行列車、(3)連続無停車二時間以上の旅客列車・貨物列車、(4)午前〇時から同六時までの深夜帯にわたって二時間以上運転する場合、(5)蒸気暖房機を乗せた列車、(6)通票(タブレット)を取扱う列車(計三五〇〇人)

(二) デットマン装置の設置は、労使が引き続いて話し合う。

(三) 一人乗務となった機関士の乗務旅費(手当)を五〇パーセント引き上げる。

(四) 一日八時間の労務時間に換算される乗務時間を、五時間一五分とする。また四週に一日の非番日を与える。

3  国鉄開設以来の規模といわれる本件闘争により、北海道から九州まで全国約二〇〇の拠点で約一三時間三〇分にわたり全国縦断ストが実施され、その結果、東海道本線・山陽本線をはじめとする太平洋岸沿いの主要幹線のダイヤは大混乱に陥った。また、ストライキの時間帯が一一月一日早朝の通勤・通学時間に喰い込んだため、東京・大阪周辺における国電の運転休止・遅延により通勤通学客に及ぼした影響も大きく、特に湘南・横須賀線電車、東海道本線及び山陽本線の米原・姫路間の電車は、運休が相次いでダイヤが麻痺状態になり、そのため、東京・大阪周辺の各駅では、乗車券の発売を一時停止したり、一時改札止めの非常措置をとったりした。結局、一〇月二九日からの順法闘争及び一〇月三一日午後七時から一一月一日午前八時三〇分までのストライキによる欠務者数及び運休・遅延列車は、別紙第四記載のとおりであり、一一月一日は終日列車のダイヤが混乱し、全国の長距離旅客列車や貨物列車のダイヤが平常に戻るまでに、更にかなりの時間を要した。

4  次に、国労沼津機関区分会を拠点とする本件闘争の影響についてみるに、昭和四四年一〇月三〇日からの順法闘争(乗継点検等)により、旅客列車九本・貨物列車一六本が三分ないし三一分遅延し、また、同月三一日からのストライキにより、国労沼津機関区分会所属の乗務員五三名が不参・六五名が欠務し、七名が代務命令を拒否したため、当局側手持ちの助役等一八名を代替乗務員に指定し、旅客列車一〇本・貨物列車一本を運転したが、旅客列車二一本(荷物列車・回送列車各一本を含む。)・貨物列車一九本が運転を休止した。

なお、原告は、国労沼津機関区分会員のストによる運休列車は、別紙第三記載のように、東海道本線の旅客列車二本(別紙第三の一の2・3)・御殿場線の旅客列車八本(別紙第三の二)・貨物列車四本(別紙第三の三)に過ぎない旨主張する。けれども、原告主張の別紙第三記載の事実を認めるに足りる証拠は何一つなく、却って、≪証拠省略≫によれば、沼津機関区所属の機関士等は、東海道本線の豊橋・東京間(旅客列車)及び浜松・汐留間(貨物列車)、御殿場線全線、身延線富士・西富士間の列車を運転しているところ、被告主張の運休列車計四〇本は、いずれも、国労沼津機関区分会所属の機関士・機関助士の不参・否認によって運休した列車であることが認められる。

五  原告の具体的行為

≪証拠省略≫によれば、次の事実が認められる。

1  原告は、昭和四四年一〇月二七日午後三時三〇分から、沼津機関区講習室において開催された国労沼津機関区分会拡大委員会に出席し、約三〇人の分会員に対し、「一〇月三一日午後一〇時から、国労沼津機関区分会がストライキに入ることになった。」旨言明した。

2  原告は、国労沼津機関区分会執行委員長として、前同月二八日付同分会指示第八号・同月二九日付同分会指示第九号を発し、同分会員に対し、(1)当局の戸別訪問・保護願いを拒否すること、(2)一〇月三一日午後四時から杉崎町会館で開催する総決起大会に参加すること、(3)一〇月三〇日午前九時より順法闘争に突入することを、それぞれ指示したうえ、同月三〇日には、沼津機関区乗務員詰所の掲示板に、右指示第八号・第九号を掲示した。

3  国労沼津機関区分会員が、沼津機関区乗務員休養室の屋上に、同機関区の管理者に無断で同分会の組合旗を掲揚したので、同機関区の法月区長ら約一五名の管理職員らが、同月三〇日午前七時頃右組合旗を撤去しようとしたところ、原告は、多数の同分会員らと共に、法月区長らに対して右組合旗の撤去に抗議した。

4  原告は、前同日午後八時過ぎ頃、沼津機関区事務室において、国労・動労の役員及び組合員合計約三〇名と共に、同機関区運転科長和田計一他二、三名の管理職員に対し、同機関区の管理職員が同機関区所属の動力車乗務員の家庭を訪問し、ストライキに参加しないよう協力方を要請していることに抗議し、すぐ家庭訪問をやめるように申し入れた。

5  原告は、同月三一日午後四時頃から、沼津市杉崎町所在の杉崎町会館で開催された国労沼津機関区分会総決起大会(これは静岡地本で企画・立案したものである。)に出席し、約二〇〇名の同分会員に対して、坪井中央執行委員、臼井静岡地本副委員長、田村沼津支部執行委員長の順に演説が行われた後、沼津機関区分会執行委員長として演説を行い、本部指令に基づいてストライキを闘いぬこうと演説した。

6  原告は、前同日午後五時三八分頃から、沼津機関区扇型庫前広場において開催された国労・動労・地区労の共同総決起集会(これは、国労静岡地本・動労静岡地本・静岡県評の三者による共闘委員会が、企画・立案したものである。)に出席し、田端公務員共闘議長、桜井地区労議長、坪井国労中央執行委員、臼井国労地本副委員長、岡本動労地本副委員長、川口県評副議長、鈴木社会党沼津支部長、川口共産党市議会議員、岩間県議会議員、動労・国労顧問弁護士、中山三島市長(代理)の各挨拶、長橋動労沼津支部執行委員長の決意表明がなされた後、約一三〇〇人の国労及び動労の沼津支部傘下の組合員の前で決意表明を行い、「EL・DL一人乗務による合理化に反対し、労働者は団結してこれを打破しなければならない。」旨の演説を行った。

7  沼津機関区分会員である一二名の指導機関士が、ストライキ突入の際の代替乗務員として予備勤務に指定され、前同日午後一〇時頃、当局側の手により沼津運輸長室に隔離されていたところ、原告は、田村国労沼津支部執行委員長、高木国労沼津機関区分会書記長、市川動労沼津支部執行委員他一、二名の組合員と共に、沼津運輸長室付近まで赴き、山川繁運転部長ら管理職員に対して、「指導員に会わせろ。説得するのだ。」と抗議したが、当局側管理職員に阻止され、面会できなかった。

8  原告は、ストライキ終了後の同年一一月一日午前九時二〇分頃から、沼津機関区乗務員宿泊所前広場で開催された闘争集約大会に出席し、約五〇〇名の国労及び動労の組合員の前で、坪井国労中央執行委員、臼井国労地本副委員長、岡本動労副委員長の順に演説が行われた後、「団結して闘ってくれた。さらに団結を強くして頑張ろう。」旨の演説を行なった。

9  原告は、同年一〇月三一日午前一〇時五分から同日午後八時五九分までの、指定された勤務を欠いた。

第三本件解雇の効力

一  公労法第一七条は憲法に違反するか。

1  憲法第二八条は、勤労者の労働基本権を保障しているが、その趣旨とするところは、憲法第二五条の保障する生存権の実質的確保を基本理念として、勤労者に対して人間に値する生存を保障するため、使用者との関係において経済上劣位に立つ勤労者を対等の立場に立たしめ、勤労者の経済的地位を向上させることを目的とするものである。しかして、このような労働基本権は、単に私企業の労働者についてのみ保障されるものではなく、公共企業体等の職員についても、勤労者として自己の労務を提供して生活の資を得ているものである点において、私企業の労働者と異なるところはないから、原則的にはその保障を受けるべきものと解される。

2  しかしながら、労働基本権は、全ての国民に与えられた生存権に由来するものであり、勤労者の生存権を保障するための手段として保障されたものであるから、何らの制約をも許されない絶対的なものではないのであって、憲法の保障する他の基本的人権との関係においてその恣意的な行使は許されず、国民生活全体の利益の保障という見地からの制約を、当然の内在的制約として内包しているものといわなければならない。とりわけ、公共企業体等職員の従事する職務は、多かれ少なかれ等しく国民生活と密接なかかわりを有しているのであるから、公共企業体等職員の労働基本権は、国民生活全体の利益の保障との調和という観点から、その職務の公共性に対応した何らかの内在的制約を有しているものといわざるを得ない。尤も、一口に公共企業体等職員の従事する職務といっても、極めて公共性の強いものから私企業のそれと殆んどかわりのないものまで多種多様にわたり、従って、労働基本権の行使による職務の停廃が国民生活に及ぼす影響も千差万別であるから、公共企業体等職員の労働基本権について、ただ単に公共企業体等の職員であるからとか、公共企業体等職員の職務が一般的に私企業のそれと比較して公共性がより強いといった形式的理由のみから、一律にこれを否定したり制限することは許されず、その制約については、憲法が労働基本権を保障した理念に照らし、具体的・個別的に慎重に検討し、判断する必要がある。

3  ところで、公労法第一七条第一項は、「職員及び組合は、公共企業体等に対して同盟罷業、怠業、その他業務の正常な運営を阻害する一切の行為をすることができない。又職員並びに組合の組合員及び役員は、このような禁止された行為を共謀し、そそのかし、若しくはあおってはならない。」と規定している。そして、右規定を文字どおり解釈すれば、公共企業体等職員の行う争議行為については、その職務の公共性の強弱並びにその職務の停廃が国民生活に及ぼす障害の程度にかかわりなく、一律且つ全国的に禁止しているものと解さざるをえず、そうだとすれば、右規定は、公共企業体等職員の労働基本権を保障した憲法の趣旨に反し、労働基本権に対する制限は、必要やむを得ない場合に、合理性の認められる必要最少限度のものにとどめられるべきであるとの要請に反し、右限度を越えて争議行為を禁止したものとして、違憲の疑いを免れないであろう。けれども、法律の解釈は、可能な限り憲法の精神に則し、これと調和しうるよう合理的に解釈すべきであり、かかる見解の下に公労法第一七条第一項について合理的な解釈を施せば、同条項は、公共企業体等職員の行う争議行為を一律且つ全面的に禁止したものではなく、公共企業体等職員の行う争議行為中、国民生活全体の利益を害し、国民生活に重大な障害をもたらす虞れのあるものに限り、最小限度禁止したものと解すべきである。そして、このように公労法第一七条第一項を合理的に限定解釈すれば、右条項を憲法第二八条に違反するものと解することはできないであろう(最高判昭四一・一〇・二六刑集二〇・八・九〇一参照)。

二  本件争議行為は、公労法第一七条第一項前段が禁止する争議行為に該当するか。

1  国鉄は、従前国家が直接経営していた鉄道事業を中心とする事業を引継ぎ、能率的な運営によりこれを発展させ、もって公共の福祉を増進させることを目的として設立された公法上の法人であり(日本国有鉄道法第一条・第二条)、その資本金は政府が全額出資し(同法第五条)、その事業の運営、役員の任免、予算措置、会計・業務の監査及び運賃の決定等について、国会及び国家行政機関から種々の法律上の規制を受けている(同法第一四条・第一九条・第二二条・第三九条の二ないし第五〇条参照)。また、国鉄の輸送業務の概況をみるに、≪証拠省略≫によれば、本件闘争の行われた昭和四四年当時における国鉄の営業キロは二万〇八三四キロメートルであるのに対し、私鉄のそれは六四〇三キロメートルであり、同年度の輸送機関別貨物及び旅客輸送量は別紙第五記載のとおりであって、国鉄の営む業務は、全国的且つ広範囲にわたり国民全体に対し輸送の便宜を供与するものであるとともに、全国主要幹線を独占し、特に長距離輸送において特別の運輸能力を発揮し、他の輸送機関によってはその代替が著しく困難であることが認められる。

2  このように、国鉄の目的・組織・業務の概況等からすれば、国鉄の業務は、それ自体極めて高度の公共性を有する業務であり、全国民の生活に密着しているものというべく、従って、国鉄職員による争議行為も、その規模・内容・態様のいかんによっては、国民生活全体の利益を害し、国民生活に重大な障害をもたらす虞れがあるものといわなければならない。結局、国鉄職員の行う争議行為のうち、具体的にいかなる争議行為が公労法第一七条によって禁止される争議行為に該当するかは、その争議行為を禁止することによって保護しようとする国民生活全体の利益と、その争議行為を是認し、国鉄職員の労働基本権を保護することによって実現しようとする法益との比較衡量により、両者を適切に調整しその均衡を保たせる見地から、争議行為の目的・規模・態様・影響等を総合勘案して、決定しなければならない。

3  そこで、まず、本件闘争の目的についてみるに、前記第二の一ないし四の認定事実によれば、本件闘争は、被告のEL・DL一人乗務制実施に反対するためになされたものである。けれども、右事実によれば、国鉄労使の共同推薦により選任された五名の学者からなるEL・DL委員会が、安全性や労働負担の点について検討を加えたうえ、「二人乗務を一人乗務に切り換えつつ、それを前提とした種々の施策を実施していくことを、現在の国鉄の基本方針にすべき時期にきている。」旨の答申をなし、しかも、「EL・DL委員会から答申された内容は尊重し、労働条件については団体交渉で決める。」という労使間の覚書がある以上、EL・DL委員会の結論の趣旨にそって問題の解決に当たるのが当然であるにも拘わらず、国労は、あくまでも自己の主張を貫こうとして、本件闘争に突入したものである。しかも、被告は、当初より、一人乗務制の実施に伴い過員となる機関助士については、原則として機関士に登用し、強制的な人員整理を行わない旨言明していたのであり、以上の諸点に照らせば、本件闘争の目的には疑問があり、妥当性も認め難い。

4  そこで、次に、本件闘争の規模・態様・影響等について考察するに、前記第二の四の3の事実によれば、本件闘争は、国鉄開設以来といわれる大規模且つ長時間に及ぶものであり、北海道から九州まで全国約二〇〇の拠点で約一三時間三〇分にわたり全国縦断ストが実施され、その結果、太平洋岸沿いの主要幹線のダイヤが大混乱に陥り、また、東京・大阪周辺における国電の運転休止・遅延により朝の通勤通学客に及ぼした影響も大きく、乗車券の発売を一時停止したり、一時改札止めの非常措置をとった駅も続出し、結局、本件闘争(順法闘争とストライキ)による運休列車は合計四〇三三本にものぼり、一一月一日は終日列車のダイヤが混乱したうえ、ダイヤが平常に戻るまでには更にかなりの時間を要した、というのである。

5  以上のように、本件闘争の目的には疑問があり、妥当性も認め難いうえ、本件闘争は大規模且つ長時間に及ぶものであり、国民生活に重大な障害をもたらしたことを考慮すれば、本件闘争は、公労法第一七条第一項前段で禁止されている争議行為に該当するものといわなければならない。

三  原告の行為は、公労法第一七条第一項に該当するか。

1  公労法第一七条第一項後段の「共謀し」とは、二人以上の者が、業務の正常な運営を阻害する行為となるのを知りつつ、その実行方法について共通の意思決定を行うために謀議することであり、「そそのかし」「あおり」とは、他の特定又は不特定の職員をして、業務の正常な運営を阻害する行為をなさしめるようにしむける一切の行為を総称し、必ずしも、これによって、現実に相手方が影響を受けること及び業務の正常な運営を阻害する行為が行われることを要しないものと解すべきである。

2  そこで、右のような見地から、原告の行為が公労法第一七条第一項に該当するかどうかについて判断すれば、前記第二の五の1・2・5・6の各行為は、いずれも、公労法第一七条第一項後段の「そそのかし」あるいは「あおり」に該当するものといわなければならない。

3  けれども、前記第二の五の3・4・7の各行為は、当局側管理職員に対する抗議であり、同8はストライキ終了後の演説であり、同9はストライキ開始前の原告自身の欠務であって、いずれも、公労法第一七条第一項前段・後段ともに該当するものではない。

四  不当労働行為について

原告は、本件解雇は、被告のマル生運動の一環として行われたものであり、従来から活発な活動を続け、国労沼津機関区分会の団結の中心であった原告を職場から排除し、同分会を切崩すために強行されたものであって、不当労働行為である旨主張する。けれども、前記第一・第二及び第三の二・三において認定したところによれば、被告は、原告が、国労沼津機関区分会執行委員長として、同分会員に対し、本件闘争に参加するよう「そそのかし」もしくは「あおった」として、公労法第一七条第一項・第一八条に基づき、本件解雇の意思表示をなしたのであり、本件解雇が、原告の組合活動を嫌悪し、国労沼津機関区分会を弱体化させ、支配介入しようとする意図の下になされたものとは、到底認めることができない。

五  解雇権の濫用について

1  一般論

公労法第一八条は、「同法第一七条の規定に違反する行為をした職員は、解雇されるものとする。」と規定している。しかし、公労法第一八条の趣旨とするところは、右の違反行為をした職員は、当然にその地位を失うとか、一律に必ず解雇されるべきであるというのではなく、例えば日本国有鉄道法第二九条・第三一条等の定める職員の身分保障等に関する規定に拘わらず、解雇することができるというにとどまり、解雇するかどうか、その他どのような措置をとるかについては、職員のした違反行為の態様・程度に応じ、公共企業体等の合理的な裁量に委ねる趣旨と解するのが相当である。そして、職員の労働基本権を保障した憲法の根本精神に照らし、また職員の身分を保障している右日本国有鉄道法の趣旨に鑑みると、職員に対する不利益処分は、必要な限度を超えない合理的な範囲にとどめなければならないものと解すべきである(最高判昭四三・一二・二四民集二二・一三・三〇五〇参照)。そこで、右のような見地から、本件解雇が、被告に認められた合理的な裁量権の範囲内にとどまるものであるかどうかについて、判断することとする。

2  本件闘争の目的とその影響

前記第二の一ないし四及び第三の二において認定したところによれば、本件闘争は被告のEL・DL一人乗務制実施に反対するためになされたものであり、EL・DL委員会の「二人乗務を一人乗務に切り換えつつ、それを前提とした種々の施策を実施していくことを、現在の国鉄の基本方針にすべき時期にきている。」旨の答申がなされ、しかも、「EL・DL委員会から答申された内容は尊重する。」旨の労使間の覚書があるにも拘わらず、国労は、あくまでも自己の主張を貫こうとして、本件闘争に突入したのであり、本件闘争の目的には疑問があり、妥当性も認めがたい。更に、本件闘争の規模・態様・影響等についてみても、本件闘争は、国鉄開設以来といわれる大規模且つ長時間に及ぶものであり、約一三時間三〇分にわたり全国縦断ストが実施され、その結果太平洋岸沿いの主要幹線のダイヤが大混乱に陥り、国民生活に重大な障害をもたらしたことも無視できない。

3  沼津機関区分会を拠点とする本件闘争の影響

前記第二の四の4の認定事実、並びに、≪証拠省略≫を総合すれば、次の事実が認められる。

(一) 沼津地区は、静岡県東部における産業・経済・交通の中心地であり、沼津駅は、東海道本線の主要駅として、特別急行列車及び急行列車が停車するとともに、御殿場線の分岐駅でもあり、本件闘争当時、沼津・東京間に沼津始発又は終着となる列車が一日二〇数本も運転され、一日平均乗車人員は約二万五〇〇〇人に上っていた。しかして、沼津機関区には、多数の機関士等及び機関車が配置され、沼津機関区所属の機関士等は、東海道本線の豊橋・東京間(旅客列車)及び浜松・汐留間(貨物列車)、御殿場線全線、身延線富士・西富士間の列車を運転していた。

(二) ところで、昭和四四年七月現在で、国労静岡地本は、九支部・一〇八分会によって組織され、組合員一万二四三四名を擁していたが、国労沼津機関区分会は、分会員六七七名を擁し、国労沼津支部に所属する最大の分会であるばかりではなく、国労静岡地本一〇八分会の中で最大の組織を有する分会であり、更に、国労静岡地本中央支部の四四四名よりも多数の組合員を有し、同地本飯田支部(七一九名)・新幹線支部(八二六名)・富士身延支部(九〇七名)と肩を並べるほどの組合員を擁していたのである。

(三) 沼津機関区分会員による本件闘争により、旅客列車二一本(回送列車一本を含む)・貨物列車一九本が運転を休止したのであるが、右運転を休止した列車の中には、沼津・東京間等の中距離旅客列車数本も含まれていた。

(四) なお、本件闘争当時、新幹線は全く通常に運行しており、また、東名高速バス・伊豆箱根鉄道・東海自動車・富士急行・箱根登山鉄道等も、沼津機関区管内を通常に運行していた。

(五) 以上のように、沼津機関区の重要性、国労沼津機関区分会の組織・規模、同分会を拠点とする本件闘争により運休した列車本数及びその内容、並びに本件闘争前後における静岡新聞の報道等を総合すれば、たとえ、原告が主張するように、本件闘争当時、沼津機関区管内には、新幹線や私鉄・私バス等の他の代替輸送機関が通常に運行されていた事実を考慮しても、国労沼津機関区分会員による本件闘争により、沼津地区及びその周辺の交通運輸機能を混乱させ、沼津地区及びその周辺の住民の生活に多大の影響を及ぼしたものというべきである。

4  本件闘争において原告の占める地位及び役割

(一) ≪証拠省略≫によれば、国労の機構及び権限等は別紙第二記載のとおりであり、国労が闘争を行うに当たっては、まず全国大会で基本的な方針を決定し、これを踏まえて中央委員会で具体的な戦術を決定し、更に、中央執行委員会・戦術委員会が、これら決定の範囲内で闘争手段を一層具体化し、これを地方本部以下の下部機関に指令・指示するという方法をとっているのであり、また、下部機関たる地方本部は、中央執行委員会より伝達された闘争指令を受けて、その指令の範囲内において具体的な闘争実施方法を検討し、これを各支部・分会に伝達するのであるが、分会は、闘争に関して独自に決定できる事項は殆んどなく、分会の執行委員長は、上部機関からの指令・指示をそのまま分会員に伝達し、また、派遣された地方本部又は支部の役員の指示に従って行動することを義務づけられているほか、闘争に関する組合員の意思を集約することを主要な任務としている。

(二) このことは、本件闘争においても同様であり、前記第二の三の認定事実によれば、本件闘争は、中央委員会の決議により、共闘委員会・中央執行委員会・戦術委員会によって、日時・拠点・戦術等について具体的に企画・立案されたうえ、本部闘争指令第一五号をもって、一〇月二五日以降全職場の順法闘争、一〇月三一日拠点地方本部のストライキ等が指令されたのであり、国労静岡地本は、右闘争指令を受けて、その指令の範囲内において具体的な闘争実施方法を検討し、これを各支部・分会に伝達したのであって、国労沼津機関区分会を拠点とする闘争については、国労中央本部より派遣された坪井中央執行委員が最高責任者となり、臼井静岡地本副委員長、工藤静岡地本執行委員と共に、争議行為の指揮・指導・実施にあたり、原告は、拠点の分会執行委員長として、坪井中央執行委員、臼井地本副委員長、工藤地本執行委員、田村沼津支部執行委員長らの指揮・指導に基づき、国労沼津機関区分会員に対して必要な連絡及び指示を行い、同分会員の意思を集約することを主要な内容とする任務に携わったのである。

(三) また、被告が主張する本件闘争における原告の具体的行為も、組合員に対する指示や集会での演説等、争議行為に通常随伴する行為(前記第二の五の1・2・5・6・9)や、暴力を伴うことなく短時間に終っている当局側管理職員に対する抗議等、違法性の強いものとはいえない行為(前記第二の五の3・4・7)である。

(四) このように、本件闘争については、中央の共闘委員会等が具体的な日時・拠点・戦術等を企画・立案したうえ、国労中央執行委員会が本部闘争指令第一五号を発し、これを受けて、国労静岡地本が、右指令の範囲内で具体的な闘争実施方法を検討し、これを各支部・分会に伝達したのであって、原告のような分会執行委員長は、闘争に関して独自に決定できる事項は、殆んどない。原告は、本件闘争に際し、ただ単に上部機関からの指令・指示をそのまま国労沼津機関区分会員に伝達し、派遣された中央及び地本役員の指示に従って行動し、同分会員の意思を集約する任務に携わっただけであり、被告が主張する原告の具体的行為も、争議行為に通常随伴する行為(分会員に対する指示や集会での演説)や、暴力を伴うことなく短時間に終っている違法性の弱い行為(当局側管理職員に対する抗議)である。しかるに、被告は、原告が、国労沼津機関区分会執行委員長として、本件闘争の計画に参画するとともに、右闘争を指導し実施させた責任者であるとして、公労法第一八条により原告を解雇しており(前記第一の認定事実)、被告は、本件闘争において原告の占める地位及び役割について、十分な認識のうえで本件解雇をなしたものとは、解し難い。

5  本件闘争による処分者

≪証拠省略≫を総合すれば、次の事実が認められる。

(一) 被告は、本件闘争に関し、全国で六六名(国労関係二七名・動労関係三九名)の職員を解雇したが、分会執行委員長で解雇されたのは、原告と国労大阪地方本部吹田支部吹田第一機関区分会執行委員長古川新一の二名だけであり、しかも、同人については、大阪地方裁判所で昭和五〇年七月一七日原告勝訴の判決がなされており、原告及び古川の被解雇者を除く分会執行委員長については、闘争拠点の分会執行委員長でも、せいぜい一か月ないし三か月の停職処分がなされたに過ぎない。

(二) 国労沼津機関区分会を拠点とする本件闘争の関係者についてみるに、坪井中央執行委員・臼井静岡地本副委員長の両名は、本件闘争により解雇されているが、工藤静岡地本執行委員・田村沼津支部執行委員長の両名は、いずれも当時専従の組合員であり、本件闘争では原告を指揮・指導する立場にあったにも拘わらず、それぞれ停職六か月及び一〇月の処分を受けたに過ぎない。

(三) 本件闘争以前において、原告のような分会執行委員長が解雇された前例は少なく、本件闘争後においても、昭和四六年春闘において分会三役一三名が公労法解雇された例を除いては、分会執行委員長の公労法解雇がないばかりか、昭和四九年・五〇年の春闘、昭和五〇年末のいわゆるスト権ストのような前例のない大闘争においてさえ、国労支部三役の解雇すら行われていない。ちなみに、日本全土で八日間にもわたって実施されたスト権ストでさえ、公労法第一八条による国労関係者の解雇は、中央執行委員一名、地方本部三役三名、地方本部執行委員五名の計九名に過ぎない。

(四) 以上のように、原告は、最下部機関である国労沼津機関区分会の非専従執行委員長として、上部機関の指示・指導に基づいて本件闘争に参加したのであるが、原告に対する本件解雇処分は、同じく本件闘争に参加した他の者に比し、同種組織の他の役員(分会長で解雇されたのは全国で二名)との比較においても、組織系列上の比較(原告を指揮・指導した工藤・田村両名は解雇されていない。)においても、均衡を失し苛酷な処分といわざるをえない。しかも、本件闘争以前において、国労の分会執行委員長が公労法解雇された前例は少なく、本件闘争後においても、昭和四六年春闘を除いては、国労支部三役の解雇さえ行われておらず、本件解雇は、前後になされた同種処分と比較しても、均衡を失し著しく苛酷な処分といわざるをえない。

5  結論

結局、本件闘争は、国鉄開設以来といわれるほど大規模且つ長時間に及び、国民生活に重大な障害をもたらしたものであり、その目的も、EL・DL一人乗務制実施に反対するためであって、本件闘争の目的には疑問があり、妥当性も認め難いうえ、更に、国労沼津機関区分会を拠点とする本件闘争によっても、沼津地区及びその周辺の住民の生活に多大の影響を及ぼしたことを考慮すれば、原告が何らかの処分を受けるのは、やむをえないものといわなければならない。

しかしながら、原告は、本件闘争に際し、ただ単に、上部機関からの指令・指示をそのまま国労沼津機関区分会員に伝達し、派遣された中央及び地本役員の指示に従って行動し、同分会員の意思を集約する任務に携わっただけであって、原告独自の判断で決定した事項は殆んどなかったこと、被告が主張する原告の具体的行為も、争議行為に通常随伴する行為や、暴力を伴なうことなく短時間に終っている違法性の弱い行為に過ぎないこと、本件解雇処分は、同種組織の他の役員との比較においても、組織系列上の比較においても、更には前後になされた同種処分との比較においても、均衡を失し著しく苛酷な処分といわざるをえないこと、以上の事実に照らせば、たとえ、前述のように、本件闘争の目的には疑問があり、本件闘争によって国民生活に重大な障害がもたらされたことや、原告は、これまでに、日本国有鉄道法第三一条による減給処分四回・戒告処分五回も受けていること(≪証拠省略≫により認められる)を考慮しても、なお且つ、本件解雇は、被告に認められた合理的な裁量権を逸脱した違法なものというべく、解雇権の濫用として無効である。

第四賃金の請求について

一  本件解雇当時の原告の給与が、動力車乗務員基本給表の七職群三七号で、基本給が五万四五〇〇円であったこと、右号俸の基本給加算額が二六〇円、無給地の暫定手当が五二〇円であったこと、本件解雇当時の原告の扶養手当が一六〇〇円であったことは、当事者間に争いがない。そして、≪証拠省略≫によれば、国鉄職員の昇給については、毎年労使の間で昇給協定が締結され、それに基づいて実施されているが、昇給協定では、特別な事由がない限り当然に一定の号俸ずつ昇給し、使用者の裁量の余地は殆んど存在しないが、一定の戒告処分を受けている者は自動的に昇給号俸を減ぜられること、別紙第一の1・2(原告の昭和四四年一二月二二日から昭和四八年三月三一日までの賃金債権)記載の各金額は、国労静岡地本の事務局が、当該各年度に締結された昇給協定に基づき、原告が受けている戒告処分も考慮にいれたうえ、更に、原告が昭和四七年四月一日付で七職群から八職群に昇格することを前提に、もし、原告が解雇されていなければ得たであろう、基本給及び諸手当を算出して記載したものであること、以上の事実が認められる。

二  そこで、まず、原告は定期昇給分についても支払いを求めうるかが問題となるが、労使間の昇給協定において、昇給の時期及び金額の具体的算出方法が定められ、使用者の裁量の余地が殆んど存在しない場合には、労働契約の集団的性格からしても他の職員と同様に処遇されなければならないものというべく、従って、定期昇給分についても支払いを求めうるものと解する。これを本件についてみるに、前記認定事実によれば、国鉄職員の昇給については、毎年労使間で締結された昇給協定に基づき、特別な事由がない限り当然に一定の号俸づつ昇給し、被告の裁量の余地が殆んど存在しないのであるから、原告についても、定期昇給分についても支払いを求めうるものというべく、従って、原告の昭和四四年一二月二二日から昭和四七年三月三一日までの賃金債権は、別紙第一の1記載のとおりであり、合計二五九万〇〇八二円であることが認められる。被告は、昇給協定では、欠格事由が存在する場合又は勤務成績いかんによっては昇給号俸が減ぜられ、必ずしも原告主張のように昇給するものではない旨主張するが、右主張を裏付ける証拠を何一つとして提出しておらず、右主張を認めることができない。

三  他方、原告は、昭和四七年四月一日以降の賃金債権については、別紙第一の2記載のとおりであるとして、同日付で七職群から八職群に昇格したことを前提にしているが、弁論の全趣旨によれば、被告は、昭和四七年三月三一日現在の士職七職群現在員の三分の二(端数切上げ)に相当する人員を、昭和四七年四月一日の定数補充度において八職群へ昇給させたのであり、その昇給の基準は、勤務成績・勤続年数・現職経過年数を勘案して八職群へ昇格させたのであって、全ての者が昇格するとは限らないことが認められる。従って、七職群から八職群へ当然に昇格することを前提に、昭和四七年四月一日から昭和四八年三月三一日までの賃金債権は別紙第一の2記載のとおりであるとする原告の主張は、この点において理由がないものというべきである。そして、原告が依然として七職群のままで留まる場合の基本給がいくらであるかについては、当事者双方が何ら主張・立証せず不明なので、結局、原告の昭和四七年四月から昭和四八年三月までの賃金債権については、昭和四七年三月までの基本給七万四六〇〇円を前提として算出せざるをえず、別紙第一の3記載のとおり、合計一二四万八五八〇円になる。

第五結論

以上のとおり、原告の本訴請求は、雇用契約に基づく権利の確認、並びに昭和四四年一二月から昭和四八年三月までの賃金債権合計金三八三万八六六二円、及び右賃金債権の最終支払日の昭和四八年三月三一日の翌日である同年四月一日から完済に至るまで民事法定利率五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるので、これを認容し、その余は理由がないのでこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九二条但書を、仮執行の宣言につき同法第一九六条第一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 松岡登 裁判官 人見泰碩 紙浦健二)

〈以下省略〉

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